不気味の谷と応答のトーン
要点
- 「不気味の谷」は、人に近づくほど好感が増すが、ある一線を越えると急に不快へ転じる現象だ。
- 森政弘が1970年に提唱したこの概念は、見た目だけでなく、応答のトーンにも当てはまる。
- 過度に人間らしい言葉づかいは、機械であることを忘れさせる代わりに、外したときの違和感を増幅する。
- もっとも、谷を避けるために無機質に振り切ると、別の冷たさが生まれる。
ロボット工学者の森政弘は、1970年の随筆で、ある経験則を示した。ロボットや人形が人間に似てくると、私たちはそれに好感を抱く。だが、似方が一線を越えてほぼ人間と見分けがつかなくなる手前で、好感は急落し、不快や薄気味悪さに転じる。森はこの落ち込みを「不気味の谷」と呼んだ。本稿で考えたいのは、この谷が見た目だけの話ではなく、言葉の応答にも姿を現すのではないか、ということだ。
見た目から声へ、声から言葉へ
不気味の谷はもともと、外見と動きについての観察だった。だが対話システムが普及するにつれ、似た現象が言葉のレベルでも語られるようになった。応答が事務的なうちは、利用者はそれを道具として扱う。ところが応答が妙に人間くさくなる——軽口を叩き、感情を装い、親密な口調を使う——と、利用者の期待は人間に対するそれへと跳ね上がる。その高まった期待を、システムが少しでも裏切ると、落差は大きい。さっきまで好ましかった親しさが、急に空々しく感じられる。
なぜトーンが谷を生むのか
原因の一つは、期待の水準が言葉づかいによって設定されることだ。会話設計で触れたグライスの枠組みでいえば、親密な口調は「この相手は人間並みに文脈を汲んでくれる」という暗黙の約束を発する。だが現状のシステムは、その約束を完全には果たせない。約束と実力の差が、不快として表面化する。事務的な口調なら、そもそも過大な約束をしないから、外しても落差は小さい。
もう一つの原因は、人間らしさの演出が、しばしば中身ではなく表層に偏ることだ。感情を表す言葉を散りばめても、その背後に理解の実体が伴わなければ、利用者はやがて空虚さに気づく。表層の人間らしさは、近づくほど、かえって機械であることを際立たせる。
谷の反対側にある冷たさ
では、徹底して無機質に振り切れば安全なのか。話はそう単純ではない。過度に事務的な応答は、谷の不快は避けられても、別の問題——冷たさや突き放しの印象——を生む。謝罪と信頼で見るように、人は機械が相手でも、最低限の配慮ある言葉づかいを期待する。無味乾燥に振り切った応答は、不気味ではないが、使い続けたいとは思わせにくい。
一方で、配慮と過剰な親密さの境界は明瞭ではない。同じ言い回しが、場面によって適切にも過剰にもなる。だからトーンの設計は、一律のルールでは決まらず、文脈ごとの調整を要する。
約束しすぎない、突き放しすぎない
応答のトーンを設計するとは、谷の両側を避ける細い道を選ぶ作業だと言える。実力以上の人間らしさを演じて期待を吊り上げないこと。同時に、無機質に振り切って利用者を突き放さないこと。森が半世紀前に見出した谷は、見た目のロボットだけでなく、言葉を扱う今日のシステムにも、形を変えて立ち現れている。裏を返せば、自然なトーンとは、人間に似せることではなく、自分が何者であるかを言葉の水準で正直に示すことなのかもしれない。
出典・参考
- 森政弘「不気味の谷」(1970年、雑誌『Energy』掲載の随筆)
- 対話システムにおける擬人化と期待形成に関する一般的な人間-機械相互作用の議論
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